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これまでのプログラミングの変遷を振り返り、2020年代以降の展開を考えるため、Ruby創始者・まつもとゆきひろさんにIT WORKS@島根 初の単独インタビューを実施しました。
今回は、第③「教育現場におけるプログラミング、Rubyのこれから」
――2020年、今年から小学校でプログラミング教育が必修化されます。まつもとさんは、プログラミングには体験として触れることは大切ですが、義務にするには課題があるというスタンスだそうですね?
まつもと 1つには、プログラミングに適性があるかないかを他の要素で判断するのは非常に難しいんですよ。理科や算数が得意な子はプログラミングもきっと得意だろうと思われがちですが、実際にはそこに強い相関性はないようなんです。理科や算数が苦手な子の中にも、プログラミングが得意な子はいる。つまり、やってみないとわからないわけです。そういう意味では、まず体験してもらうこと自体はいいことだと思いますね。
ただ、今回の必修化が100点満点だとは思いません。もしかしたら、もっと別のやり方があったかもしれない。そう思うところはあります。日本には20,000近い小学校があるので、プログラミングを教える教師を手配することもきっと大変でしょうしね。
プログラミングは、できる子とできない子の差が非常に大きいんですよ。小学生でも大人顔負けのソフトウェアをつくる子もいれば、逆にまったく興味を持たない子もいます。それを成績で「1」とか「5」とか評価しないといけなくなったときに、関心が持てない子を「1」として、大人顔負けのプログラミングをする子に「5」をつける。そんな単純に済ませていいのかと。ですから、そうやって成績をつけることはよくないと思います。今回はそうしないことになったのでよかったですが。
一方で、さっき言ったように必修化によってプログラミングに触れる子どもが増えるのはいいことだと思います。若いうちから才能が発見されて、それをどんどん伸ばす機会が与えられるかもしれない。そういう可能性はあると思います。
――まつもとさんも最初のきっかけは、お父さんが買ってきたポケットコンピュータに触れたことですよね。体験の機会が増えるという点では歓迎すべきことですよね。
まつもと 今回の必修化に向けては、制度導入に関わる大人たちがいろんなことを考えたと思いますが、小学校でプログラミングを教えたからといって、必ずしもすぐに天才プログラマが出てくるとは思いませんし、プログラマを職業にする人が一気に増えることも簡単ではないと思っています。ただ、ITリテラシーを育てるという点ではいいですよね。そうした素養を持った人が増えるのは歓迎します。
今IT業界にいる人の中にも、よく理解していない人がいますからね。ソフトウェア開発の場面で、「締め切りに間に合わないなら、人を突っ込もうか?」「2人で間に合わないなら、4人にすれば大丈夫?」などと言い出す人もいるんですよ。そんな単純な話ではないわけです。そういう意味で、多くの人にITリテラシーが備わっていく契機になるといいですね。
――まつもとさんは、いろんなプログラミングコンテストで審査員を務めていらっしゃいます。これからの世代について、どうご覧になっていますか?
まつもと 私が若い頃と比べると、今は格段に情報を手に入れやすくなりました。ですから、年齢に関係なくどんどん知識を吸収して、技術を磨けるようになっています。以前、22歳以下が対象のコンテストでは中学生がプログラム言語をつくってきましたからね。その中学生は、プログラミング言語のデザインに関する英語の論文も読んでいました。驚きましたが、最近はそんな子がいっぱいいます。
――それはすごいですね。やはり全体として底上げされているわけですか?
まつもと そうとも言えません。こんな話があります。私の大学の同級生が今、大学で情報分野の教員をしているんですが、入学者に占めるプログラミング経験者の割合はむしろ下がっているそうです。今や各家庭にコンピュータがあり、それに触れる機会は増えていますが、コンピュータを使うこととプログラミングは必ずしもイコールではないんです。
その教員によると、「私はコンピュータが得意です」と話す学生が実際に何ができるかというと、例えば「Wordで文章を書けます」「PowerPointでプレゼンできます」「Excelで表をつくれます」という程度なんだそうです。
――それは、むしろ「ユーザー」ですね。
まつもと ただ、一度興味を持ったら今は何でも情報が手に入るので、プログラミング経験者の中でも知識やスキルのある人の層では、そのレベルがどんどん上がっています。
私は中学・高校生のときにプログラミング言語をつくりたいと思ったものの、実際につくるところまでは到達できませんでした。ただ、さっき言ったように今は中学・高校生が言語をつくる時代です。最年少だと小学5年生の子と出会ったことがあります。その言語はRubyでパターンマッチする比較的簡単なタイプでしたが、それでも言語は言語です。そういう子もいれば、例えばパソコンを開いても「YouTubeしか見ません」といった子もいる。極端なんですよね。上と下の差が広がっている、つまり二極化が進んでいるんです。
――Rubyが生まれてから四半世紀以上が経ちました。今も言語デザインはまつもとさんがほぼされていると思いますが、これからさらに25年後を見据えたとき、Rubyが今後も長く人々に愛されるように、役割を継承していくことは意識されているのでしょうか。
まつもと 正直に言うと、今はまだあまり考えてないですね。ただ、私も人間なので、そのうち何かある可能性はあります。こうしてインタビューを受けている今日だって、この後交通事故に遭う可能性もゼロではないわけですからね。
言語の開発には、いくつかの必要な要素があると思っています。1つは、いいソフトウェアをつくる上で、意思決定者がたくさんいるのはよくないということ。どんなソフトウェアをつくる場合でも、プロダクトマネジャーやプロダクトリーダーがいて、最終的な意思決定を明確にすべきですし、そのソフトウェアが進むべき方向も最後はその人が決めるべきだと思っています。合議制はよくないと思っているんです。
ーーなぜ「合議制はよくない」のでしょうか。
まつもと 1つのソフトウェアにも、いろんな側面があります。合議制に参加する人たちは必ずしも全体に興味がある人ばかりではなく、ある側面にしか興味がない人も多いんです。
仮に15人いたとして、特定の問題に関心がある人が1〜2人しかいなかった場合、残りの十数人は一生懸命考え切れていないので、いい判断ができるとは限らない。その結果、方針がブレて、いいプロダクトではなくなってしまう危険性は無視できないと思っています。ですから、いいソフトウェアをつくるには合議制は避けるべきだと思っているんです。
――強いリーダーシップが必要だと。
まつもと 基本的にはそうなんですが、一方でこういう例もあります。Rubyの先輩の言語である「Python」をつくったオランダ人のグイド(・ヴァンロッサム)さんは、一昨年に引退しました。私の9歳上です。彼は後継者を決めずに引退しましたが、約1年の議論を経てPythonのコミュニティでは5人の合議制にすることになりました。その5人の中にグイドさんいるんですけどね。
いろいろと話を聞いたんですが、「Pythonそのものはだいぶ安定してきているので、これから大きな変化があることは考えにくく、合議制にしてもあまり問題がない」という話でした(笑)
Rubyがこれと同じ道を辿る日が来るのかどうかは、私にはまだはっきりわかりません。というのも、Rubyはまだ他の言語を追いかける立場にあるからです。そう考えると、まだまだリーダーシップが必要なんじゃないかと思う部分はありますね。少なくとも現時点では、最終的な責任をとれる人は私以外にいないので、誰かに委譲するとか、何人か集めて合議制にするとか、そういったことは考えていません。将来のあり方については、もう少し時間をかけて準備していく必要があると思っています。
――やはり、まずは目の前のことに全力を尽くすということですね。貴重なお話をありがとうございました。
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